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長崎地方裁判所 昭和29年(ヨ)9号 判決 1954年3月22日

申請人 岩崎百合子 外六名

被申請人 島原鉄道株式会社

主文

被申請人が昭和二十九年一月二十五日、申請人川島ミチヨを除くその他の申請人等に対してなした同月二十六日付解雇する旨の意思表示は、仮りにその効力を停止する。

申請人等その余の申請を却下する。

申請費用は申請人川島と被申請人との間に生じたものは同申請人の負担とし、その余は被申請人の負担とする。

(無保証)

事実

申請人ら代理人は、「被申請人が昭和二十五年一月二十五日申請人らに対してなした、申請人等を同月二十六日附で解雇する旨の意思表示は、仮りにその効力を停止する。」「被申請人は昭和二十八年十二月九日以降申請人らを被申請人の社員として待遇しなければならない。」との判決を求め、その申請の理由として、被申請人会社は鉄道及び「バス」による旅客等の運輸を業とする株式会社であり、申請人らはいずれも被申請人の「バス」車掌として、申請人岩崎百合子は昭和二十八年二月二十七日より、同岩浅安子は同年三月二十一日より、同梅田悦子は同年三月二日より、同伊藤晶子は同年五月十三日より、同片山クニ子は同年六月六日より、同松尾繁子は同年六月五日より、同川島ミチヨは同年七月二十九日より、それぞれ被申請人に試傭されているものである。ところで被申請人会社(以下単に会社という)には従来からその従業員を以て組織され、会社と唯一の団体交渉権をもつところの島原鉄道労働組合(以下単に第一組合という)が結成されていたが、第一組合と会社との間に締結されている労働協約によれば、臨試傭及び日傭期間中のものは組合から除外されておつたから、申請人らはいずれも組合員たる資格を有しなかつたのであるが、昭和二十八年十一月二十九日第一組合と会社との間に、越年資金並びに労働協約の改訂を繞つて労働争議がおこり、同争議中自動車部門に属する従業員中多数の者が、第一組合を脱退して別に島原鉄道自動車部労働組合(以下単に第二組合という)を結成するという分裂があつたけれども、結局同年十二月九日会社と第一組合との間に協定書(疎甲第六号証)が取り交わされて漸くその妥結をみることになり、申請人らは右協定に従つて、会社の社員たる地位を獲得した。というのは右協定第二項の(ハ)には「従業員の試傭期間は六ケ月とし、試傭期間を終え引続き採用されるに至つたときは、試傭の当初より採用されたものとする。」との規定があるのであるが、これは会社の試傭員中六ケ月を経過した者は、当然自動的に社員たる地位を取得するということ、従つて本協定の成立をみた昭和二十八年十二月九日当時、既に六ケ月以上を経過した試傭員は、同日附を以て当然自動的に社員となる趣旨に解すべきことは、前記争議行為が鬪われた目的に照し、極めて明白なところであつて、申請人らはいずれも当時試傭期間六ケ月を経過していたから、当然会社の社員たる地位を獲得した訳である。そこで川島、松尾を除くその余の申請人らは前記協定の成立をみた昭和二十八年十二月九日、直ちに第一組合に加入してその組合員となり、又申請人松尾、同川島はその後間もなく、第二組合に加入してその組合員となつたところ、昭和二十九年一月二十五日会社は突如として申請人らに対し、会社の都合により同月二十六日附を以て解雇する旨を通告した。しかしながら右解雇の意思表示は次の理由によりその効力を有しないものである。(一)申請人松尾、同川島を除くその余の申請人らが第一組合に、申請人松尾、同川島が第二組合に加入していること前記のとおりであつて、会社が申請人らを解雇するには、第一組合と会社との間に締結されている労働協約(以下単に第一協約という)第二十九条、会社就業規則第四十七条又は会社と第二組合との間に昭和二十八年十二月四日締結された労働協約(以下単に第二協約という)第十六条、会社就業規則第四十七条に各準拠すべきものであるところ、本件解雇は右条項の定めるいずれの解雇事由にも該当しないものであつて、ひつきよう解雇事由がないのに解雇したことに帰し、第一協約と就業規則又は第二協約と就業規則に違反する。(二)仮りに(一)の主張が理由がないとしても本件解雇は申請人らが労働組合に加入したこと又は労働組合の正当な行為をしたことの故を以てなされたものであるから、労働組合法第七条第一号に違反する不当労働行為である。すなわち申請人松尾、同川島を除くその余の申請人らは前記労働争議以来、自動車部従業員の多くが第二組合に脱落加入していつたのに対し、終始第二組合乃至会社の懐柔と圧迫をはねのけ、あくまで第一組合に踏留まつて、熱心且良心的に組合活動に従事し、又申請人松尾、同川島らは一旦第二組合に加入したけれども、前記争議以来第二組合内において常に批判的な且熱心な組合活動家であつた関係上、会社において申請人らの行動を嫌悪し本件解雇の意思表示をなすに至つたものであるからである。(三)仮りに(二)の主張が認められないとしても、申請人らは前記協定第二項(ハ)に従つて会社の本採用たる社員の地位を獲得したものであるから、これを解雇するには、それ相当のはつきりした事由がなければならない。然るに本件解雇は、これといつた何らの事由が存しないのになされたものであつて、ひつきよう解雇権の濫用である。従つて本件解雇の意思表示は何らその効力がなく、申請人らはいずれも会社の社員たる地位を保持しているのであるから、ここに申請人らは会社を相手取つて、解雇無効及び社員たる地位確認の本案訴訟を提起すべく目下準備中ではあるが、しかしその判決の確定を俟つにおいては、唯一の収入源を失つた現在、自己及び家族をかかえて路頭に迷わねばならぬことになるから、その保全のため本件仮処分の申請に及んだと陳述し、会社の答弁に対し、元来臨時傭とは季節的に或は仕事の緩急に応じて臨時に雇傭されるものをいい、試傭とは本採用を前提として試みに雇傭されるものをいうのであるが、しかし従来会社ではかような実際上の区別はなく、試傭、臨時傭等名目の如何を問わず、実際には本採用の社員と全く同じ業務に従事しながら、長期間、中には数年に亘つてそのままに放置され、低賃銀と不安定な地位に釘づけられた事情に在つた。そこで第一組合はかかる従業員の低賃銀と浮動の地位を安定し、且会社の一方的な専断を排除する意図の下に、臨、試傭等その名目の如何を問わず等しく一定期間勤続した者は、当然社員として本採用すべき旨団体交渉を通じて会社側に確約させることを議決し、数次に亘つてこの旨を会社に申入れ、本件争議を通じてここに前記協定の締結をみるに至つたものである。従つて同協定に試傭とあるのは、会社主張の如く文字どおりの試傭に限定する趣旨ではなく、臨時傭、試傭等名目の如何を問わず、従来本社員と全く同一の業務に従事しながら、長期間に亘つて低賃銀と不安定な地位にさらされていた従業員を等しく含む意味であることは極めて明かなところというべく、又右協定が会社の一方的な専断を排除してこれまで右の如き浮動の状態に在つた臨、試傭員の地位を安定させることを目的として締結されたものである以上、本協定の締結当時既に六ケ月以上を経過している試傭員に当然本社員たる地位を獲得させる趣旨であることも亦何らの疑がない。さすれば本協定に定める六ケ月の期間は、雇入れの時からこれを起算するのが当然であつて、本協定成立の時から、改めて六ケ月を計算するという会社の主張は何ら合理的な根拠がないものというべく、申請人らはいずれも雇入れ当時から既に六ケ月以上の期間を経過して引続き採用されている者であるから、本協定に従つて当然自動的に本社員たる地位を獲得したことは明である。会社は第一協約第二十三条臨試傭期間中の者は解雇することができる旨の規定により本件解雇の意思表示をしたというけれども、申請人らが、いずれも会社の社員たる地位を取得していること前記のとおりであり、然も第一協約第二十三条の規定は前記協定の成立によつて全面的に削除され、これに代つて同協定の条項がここに新に挿入されたものと解されるから、従前の第一協約第二十三条に基ずく本件解雇の失当であることは明白である。又会社は申請人らに別紙目録記載の如き不都合な事由があつたから、ここにこれを解雇したと主張する。しかしながら右事由はいずれも申請人らの否認するところであつて、然も右に掲げられた事由自体が極めて抽象的で漠然としたものであり、仮りにこれを認めるとしても、従来そのために解雇されたという前例の無い程の軽微なものである。従つて会社がかような事由で申請人らを解雇したということは、いわばこじつけであつて、その真意は第一組合を嫌忌するの余り、常に熱心な組合活動に挺身する申請人らを好ましからずと考え、これを排除する底意の下に解雇したものであることは殆ど疑の余地がないところであると陳述した。(疎明省略)

会社代理人は「本件仮処分の申請を却下する。」との判決を求め、答弁として、会社が申請人ら主張の事業を営む株式会社であること、会社が申請人らをいずれもその主張の日時雇入れたこと(但し試傭としてではなく臨時傭である。)、申請人ら主張の日時第一組合と会社との間に労働争議が発生したが、その主張の日時、協定書(疎甲第六号証)が取交され漸くその妥結をみるに至つたこと、右争議中第二組合が分裂結成されたこと、及び会社が昭和二十九年一月二十五日、申請人らをいずれも同月二十六日附で解雇する旨意思表示をしたことはいずれもこれを認めるが、その余の申請人ら主張事実は全部これを否認する。会社は申請人らを試傭員として雇入れた事実はなく、いずれも臨時傭として雇傭していたものである。従つて申請人らが協定第二項(ハ)の定める試傭に該当しないことは極めて明かというべく、同協定の適用により、当然会社の社員たる地位を獲得したという主張の理由のないことは勿論である。仮りに試傭の中に臨時傭を含むか又は申請人らが試傭員であつたとしても、前記協定第二項(ハ)の規定によつて当然自動的に社員たる地位を取得する理由はない。というのは協定第二項(ハ)には「従業員の試傭期間は六ケ月とし、試傭期間を終え引続き採用されるに至つたときは、試傭の当初より採用されたものとする。」と規定されているだけであつて、試傭期間を終えた場合は当然自動的に社員たる地位を取得するとは定められておらず、又かような解釈を導き出す何ら合理的な根拠もないのであるから、従つて会社としては、かかる試傭期間を終えた者について、本採用に適するか否かを調査詮衡する権限を留保しており、その詮衡の結果社員として本採用となつた場合に、はじめて社員たる地位を取得し、試傭の当初に遡つて本社員として採用されたと同様にこれを取扱う趣旨と解すべきことは解釈上疑の余地がないからである。然も又同協定は試傭期間の起算点を、別に本協定成立前に遡らしめる何らの経過規定が設けられていない以上は、法律解釈の原則に従つて、協定成立後に六ケ月を経過した試傭員に対し、初めてその適用をみるべきものであることは当然のことであるから、本協定成立後、未だ六ケ月の期間を経過していないこと明な申請人らが会社の社員たる地位を取得する資格を有しないことは自明の理といわざるを得ない。さすれば申請人らは依然として会社の臨時傭又は試傭期間中の者と認むるの外はなく、従つて会社が第一協約第二十三条就業規則第四十一条の規定により、会社従業員として不適格と認めれば、何時にても解雇し得ることは当然である。申請人らは右第一協約第二十三条の規定は前記協約の成立によつて全面的に削除された旨主張するが、しかし協定と第一協約第二十三条とは何ら矛盾抵触するものではないから、第二十三条が当然協定によつてその効力を失うものとは解し難く、前記協定条項は、文理上、第一協約第二十九条の次に第二十九条の二として新に挿入されたものと解するのが相当である。然らば会社が第一協約第二十三条、就業規則第四十一条に基ずいて申請人らを解雇したことは、まことに相当で何ら右協約及び就業規則に違反する廉はない。又申請人らは会社が何ら解雇事由がないのに、申請人らを会社の都合によるという理由で解雇したことは、解雇権の濫用であると主張するが、会社が本件解雇に当り、会社の都合によるという抽象的な理由を示すに止めたのは、申請人の将来と名誉を重じたからのことであつて、申請人らにはそれぞれ別紙目録記載どおり、会社の社員たるの適格を欠く顕著な事由があつたのである。それで会社は公益的交通運輸業を営むものであるということに鑑み、一般乗客に対する「サービス」の向上と勤労意欲の増進を計るべく再三注意を喚起したにかかわらず、申請人らは毫も改善の跡がみられず、然も、申請人松尾、同川島を除くその余の申請人らは、いずれも会社自動車部に属する従業員でありながら、常に第一組合の誘導によつて第二組合に対し反抗的態度を示していたのであるが、同人らを本採用するときは、第二協約第五条自動車部従業員は第二組合員でなければならない旨の規定により、当然第二組合に加入することになる結果、かくては第二組合の統制を乱し、引いては第二組合と会社との間に無用の紛争を釀し出す虞もあり、さればといつて、このまま臨時傭として雇入れておくことは、臨傭制度の本来の趣旨に反し、且そのため作業上にも悪影響を及ぼすこととなり、とかく本採用をすることについては困難な事情があつたのである。かような訳で本件解雇は何ら不都合の廉はなく、然も申請人らはいずれも若い女性であつて、世帯主に扶養されておりその収入が自己及び家族の唯一の収入源であるという筋合ではないのであるから、従つてこの点からも、本件仮処分の申請は、その必要性を欠くものといわざるを得ない。よつて本件仮処分の申請は失当としてこれを却下せられ度いと陳述した。(疎明省略)

理由

会社が申請人ら主張の事業を営む株式会社であること、会社が申請人らをそれぞれその主張の日時雇入れたこと(但し試傭であるか臨時傭であるかの点を除く。)、申請人ら主張の日時第一組合と会社との間に労働争議が発生したが、その主張の日時協定書(疎甲第六号証)が作成取交わされてその妥結をみるに至つたこと、右争議中第二組合が分裂結成されたこと及び会社が申請人らに対し、昭和二十九年一月二十五日、同月二十六日附を以て解雇する旨の意思表示をしたことはいずれも当事者間に争がない。そこで右解雇の適否について順次検討することになる訳であるが、これについてはまず本件主要の争点である前記協定の趣旨を明かにしなければならない。ところで同協定第二項(ハ)には「従業員の試傭期間は六ケ月とし、試傭の期間を終え引続き採用されるに至つたときは、試傭の当初より採用されたものとする。」と規定されていることは、明に当事者間に争のないところであつて、文理解釈に従うならば、これは正に試傭員のみに関する処遇を定めたもので、臨時傭を含まない趣旨と解するのが相当である。けだし臨時傭とは、元来が責任性の軽い業務等について、季節的に又は仕事の緩急に応じて、臨時に雇用されるものをいゝ、試傭とは将来本採用となることを前提として一定の見習期間を置き、試みに雇傭されるものをいうのであつて、両者の間には、自から性質上の差異が存するものであるが、それにもかゝわらず、前記協定は、明に試傭と規定し、恰も本採用を前提とする試傭員のみに関する処遇を定めたものゝ如く解されるからである。果して然りとすれば、成立に争のない疎甲第一号証(第一協約)疎甲第二号証(第二協約)疎甲第三号証の一(会社就業規則)によつて疎明されるように会社の従業員には試傭、臨時傭の区別があり、又当裁判所が真正に成立したものと認める疎乙第一、二号証の各一、二によれば、申請人らはいずれも会社の臨時傭として雇傭されていたものであることが疎明されるから、従つて申請人らはいずれも前記協定の適用を受け得ないものといわざるを得ないかの如くである。しかしながら、前記協定の真の意味は、たゞ文字のみにとらわれることなく従来の会社における臨、試傭員の実態、前記労働争議の目的及び協定締結の目的等諸般の事情をも綜合勘案することにより、初めてこれを明にし得るものと認めねばならぬから、協定の文理解釈のみに従つて導き出された前記結論を以て直にその真の意味だと速断する訳には行かない。そこで考えてみるのに、証人三好岩男、馬原敬雄、木下俊光(第一、二回)吉田寛治、梶原栄の各証言を綜合すると、臨時傭と試傭との間には理論的には自から性質上の区別が存するが、会社の実際においては、従来かような区別がなく、従業員として雇入れられた者は、臨時傭、試傭等名目の如何を問わず、本社員と全く同一の責任ある業務に従事しながら、長期間に亘つて低賃銀と不安定な状態にさらされており、臨時傭の中から本採用になることがあるかと思えば、試傭員でありながら、何時までも本採用にならぬ者があるといつた事情に在つたから、第一組合において、かように実質的には何ら本社員と異ならない業務に従事しながらも、長期間に亘つて低賃銀と不安定な地位に釘づけられた従業員の地位を安定し、且会社の一方的専断を排除する意図の下に、その雇入の名目如何を問わず、等しく三ケ月経過した者を本社員として採用すべき旨団体交渉を通じて会社に申入れ本件争議もこれを一つの目的として闘われ、その結果、本協定の締結を見るに至つた事実が疎明されるのであつて、かような諸事情を参酌して考えるときは、本協定第二項(ハ)に試傭とあるのは、本来の意味における臨時傭及び日傭は含まれないが、しかし試傭のみに限定することなく、雇入れの名目如何を問はず、従来長期間に亘つて、然も事実上本社員と全く同様の業務に従事してきた従業員を等しく含む趣旨であると認めるのが、最も妥当な解釈ということができる。そして又第一協約第四条第三号の規定によれば、臨試傭期間中の者は組合員から除外されているのであるが、しかし、これは臨試傭者が臨試傭者名義である限り永久に組合員から除外される趣旨と解すべきではなく、前記協定と綜合して考えると、名目上、臨、試傭たる従業員であつても、雇入れの時から既に六ケ月を経過して、本社員に採用せらるべき資格を取得した者は、等しく組合加入を認める趣旨と解するのが相当であつて、このことは、第一協約第四条第三号が、臨、試傭者と規定せず、特に臨、試傭期間中というふうに規定していること、本協定第二項(ハ)が試傭期間を六ケ月と定めたこと及び第二協約第六条第三号が臨、試傭期間三ケ月以上を経過している者の組合加入を規定していること等綜合して明かというべきであり、申請人らがいずれも会社のバス車掌として本来の社員と同様の業務に従事してきた者であることは、前顕各証人の証言と申請人ら各本人尋問の結果を綜合して疎明せられるところであつて、申請人松尾、同川島を除くその余の申請人らが昭和二十八年十二月九日第一組合に加入してその組合員となつたこと、右申請人ら各本人尋問の結果によつて又明かであるから、従つて右申請人らは第一組合の組合員となると同時に等しく本協定の適用を受けることになつたと認めるのが相当である。尤も申請人松尾、同川島は第一組合に加入せず第二組合に加入してその組合員になつたこと、右申請人各本人尋問の結果によつて疎明せられるので、第一組合の組合員でない以上、第一組合と会社との間に締結された本協定の効力が右申請人両名に当然及ぶものとは認められないが、しかし第二協約第十条には本協定第二項(ハ)と同様の規定があり、これも亦本協定と同趣旨に理解するのが相当と認められるから、同申請人らがいずれも臨時傭であつたことは前記のとおりであるけれども、今後はつきりと臨時傭で雇入れられる場合と区別し矢張り、第二協約第十条の適用を受ける筋合といわねばならぬ。ところで問題は、更に「六ケ月の試傭期間を終え引続き採用されるに至つたときは、試傭の当初より採用されたものとする。」ということは一体如何なる趣旨であるかということである。この点について申請人らは、六ケ月の試傭期間を終えた場合には、当然自動的に本社員たる地位を取得する趣旨であると主張するが、しかし「六ケ月の試傭期間を終え引続き採用されるに至つたときは、試傭の当初より採用されたものとする。」という規定からは、これを如何に理解するとしても、文理上到底申請人ら主張の如き解釈を導き出すに由がなく、前記認定の本協定締結の趣旨、目的に徴しても、直にかような解釈を肯定すべき合理的な根拠が存しない。そこで本協定は矢張り会社に調査詮衡の権限が留保されており、会社がその詮衡の結果社員として試傭員を本採用したときに、初めて試傭員は社員たる地位を取得し、試傭の当初に遡つて、引続き社員として採用されたと同様に処遇される趣旨であると解するのが相当である。しかしながら又一方前記認定の本協定締結の趣旨目的から考えると、六ケ月の試傭期間を終つたのち、会社が随意に適格性の調査詮衡を始めれば良いという趣旨に解するのは相当でない。何故なら若しかような解釈をとるとするならば、会社は適格性の調査詮衡に藉口して従来どおり臨、試傭員をそのままの状態で、何時までも雇傭しておくという結果にならぬとも限らぬし、かくては、実質的に全く社員と同一の業務に従事しながらも、長期間、臨、試傭員として低賃銀と不安定な地位に放置されていた従業員の地位を安定させるべく締結された本協定の趣旨目的は、全く無意味に帰することになるからである。かように考えてくると、本協定の趣旨は、六ケ月の試傭期間内に社員としての適格性を調査しこれに欠くるところがなければ、会社としては期間の満了と共に当然社員として本採用をすべく、従業員を臨、試傭のまゝの不安定な状態に置かない義務を負うものと解するのが相当である。そこで次に六ケ月の試傭期間を何時から起算すべきかの問題について調べるのに、会社は、本協定については別段の経過規定が設けられていないから、その締結をみた昭和二十八年十二月九日を基準としてその後六ケ月を計算すべきことは、法律解釈の原則上当然であると主張する。しかしながら本協定締結の趣旨目的が、既に今日まで長期間実質的には社員と全く同一内容の業務に従事しながらも、前記の如き不安定な状態のまゝに置かれていたところの臨、試傭の地位を、可及的速に安定させることに在つたことは、前記認定のとおりであつて、このことから考えるならば本協定の定める六ケ月の起算点は、それぞれ雇入の日から起算するのが相当であり、本協定は特にこの趣旨に従つて締結されたものと認むべきことが明であるから、前記会社の主張は採用の限りでない。而して申請人松尾、同川島の関係においても第二協約の解釈上同趣旨と認めるのを相当とすべきところ、申請人岩崎百合子が昭和二十八年二月二十七日、同岩浅安子が同年三月二十一日、同梅田悦子が同年三月二日、同伊藤晶子が同年五月十三日、同片山クニ子が同年六月六日、同松尾繁子が同年六月五日、同川島ミチヨが同年七月二十九日それぞれ会社に雇入れられたことは当事者間に争のないところであつて申請人川島を除く申請人岩崎が同年八月二十七日、同岩浅が同年九月二十一日、同梅田が同年九月二日、同伊藤が同年十一月十三日、同片山が同年十二月六日、同松尾が同年十二月五日の各満了によつて、それぞれ六ケ月の期間を経過することは算数上明かであるから、会社は本協定締結の趣旨に従い、本件においては右協定締結後直にその社員たる適格性を調査し、これに欠くるところがなければ速に社員として採用すべき義務があるというべく、従つて会社が本協定の趣旨に違背し、相当期間内に右の如き措置をとらなかつたような場合には、その義務違反の故によりその後は少なくとも、第一協約第二十九条各号又は第二協約第十六条各号及び就業規則第四十七条各号に該当する事由がある場合を除く外、みだりに就業規則第四十一条臨時傭又は試傭の待遇中は何時にても解職ができる旨の規定によつてこれを解雇することは許されないと解さねばならぬ。然るに会社が昭和二十九年一月二十六日附被申請人らを第一協約第二十三条就業規則第四十一条の規定によつて解雇したことは会社の自陳するところであり、会社が本協定締結後約四十日を経過した昭和二十九年一月十九日頃に至るまで、前記認定の如き何らの措置をとらなかつたことは、証人永藤薫、田中富士義、石原実の各証言によつて疎明されるところであつて、会社が右の如く約四十日の間何らの措置をとらなかつたということは本協定の趣旨に違背すると認められるから、従つて六ケ月の期間を経過していないことの明かな申請人川島は別として、その余の申請人らに対してなされた本件解雇は、前記説明の理由により到底失当たるを免れない。

尤も会社は申請人らには別紙目録記載のとおり社員たるの適格を欠く顕著な事由があつたと主張しているから更にこの点について調べるのに、(一)申請人伊藤晶子は昭和二十八年八月二日収入金を着服した事実があり、また平素の素行が悪く他の善良なる同僚に悪影響があつたとされ、疎乙第七号証の一(永藤薫の報告書)にはその旨の記載がある。しかしながらこれと証人土橋悦子の証言によりその成立を認め得る疎甲第二十三号証の二、証人森義人の証言(第二回)によつてその成立を認め得る疎甲第二十三号証の一に申請人伊藤晶子本人尋問の結果と弁論の全趣旨に対比して考えると、なるほど会社主張の日時申請人伊藤の車掌鞄の中に、予備金百円の外は所持することを禁止せられていた現金百五円が、入つていたことが、島原営業所において発見された事実はあるけれども、しかしこれが申請人の故意によるものか、不注意によつて二重に予備金として入れたものか判然としないばかりでなく、当時会社から一応の調べをうけただけで、その後引続き解雇までそのまゝ何らの不都合なく勤務に従事してきたことが疎明され、又平素の素行が悪く善良なる同僚に悪影響を及ぼす虞があつたというような特別の事情は到底その疎明があつたとは認められない。(二)申請人梅田悦子は、平常勤務に対する熱意を欠き、昭和二十八年秋のシーズンに際し、旅客輻輳の折柄、車内旅客の整理を命ぜられたのにこれに従わず、昭和二十九年一月十七日には乗務命令に服さなかつたとされている。しかし疎乙第七号の二(永藤薫の報告書)と証人土橋悦子、有山律子の各証言、申請人梅田本人尋問の結果疎甲第二十二号証の二に弁論の全趣旨を対比して考えると、同申請人が特に平常から勤務に熱意がなかつたことの疎明があつたとは認められない。尤も昭和二十八年秋のシーズン時、相当数の旅客が積残されるような状態に在つたにもかゝわらず、会社雲仙営業所において、当時申請人梅田の乗務していたバスの乗客中、予備シートを下して腰掛けているものがあつたので、同申請人が再三その取外しを求めたけれども一向に聞入れてくれる模様がなかつたから、同営業所勤務の有山律子にその旨を連絡し、同女において強硬に交渉をした末漸く予備シートを取外ずさせ、積残しの旅客を乗車せしめることができたことが疎明されるのであるが、しかし乗客殊に長距離の自動車旅行の際には誰れしも腰を掛けたいのが人情であつてみれば、申請人梅田に右の如き若干の手落があつたからといつて、特に平常の勤務に熱意がなかつたことの疎明がない以上は、ただこれだけのことで、その解雇事由があつたとは認め難い。又前顕各証拠によれば同申請人が昭和二十九年一月十七日頃、諫早営業所勤務の土橋悦子から、乗務を求められたのに対し、これに従わなかつたことが疎明されるのであるが、しかし一方同申請人らは会社自動車部従業員でありながら、第二組合に加入しないというので会社から乗務停止を命ぜられていた際であり、然も右乗務というのは、他の車掌の乗務に支障ができたための代替乗務の相談に過ぎないものであつたこと及び都合によつて乗務の繰り代えをするということは他の車掌の誰れにでもあつたこと等の諸事実が疎明されるから、前記事実は、何ら非難に値するものではない。次に(三)申請人片山クニ子は、再三注意されたにかかわらず、車掌腕章及び帽子を着用しなかつたとされている。そして疎乙第七号証の三と証人永藤薫の証言によれば、同申請人についてそのようなことが一度あつた事実が疎明されるのであるが、しかし一方証人木村義人の証言によつて成立を認め得る甲第二十四号の一、二に同申請人本人尋問の結果を綜合すると右は申請人片山においてこれをつけるための安全ピンを紛失していたからであつて、何も常日頃腕章及び帽子の着用を怠つていたという訳ではなく、平常の勤務状態も決して悪くなかつたことが疎明される。次に(四)申請人岩崎百合子については、平常勤務に対する熱意がないとされていて疎乙第七号証の四(永藤薫の報告書)にはその旨の記載があるが、これを証人木村義人の証言によつてその成立を認め得る甲第二十号証、証人吉田寛治、梶原栄の各証言、申請人岩崎本人尋問の結果及び弁論の全趣旨に対比して考えると、同申請人が特に常日頃から勤務に熱意がなかつたという事実の疎明があつたと認めることができない。(五)又申請人岩浅安子は、勤務に熱意がなく収入金取扱上不正の嫌疑があつたといわれている。そして証人永藤薫、森杉礼子、杉本勝子の各証言を綜合すれば昭和二十八年十一月十九日午後三時頃、島原営業所で、申請人岩浅安子が同僚の山本清香と共に、森杉及び杉本両車掌の各収入金引継書作成に際し、切符の整理及び現金を全嚢に収納することを手伝つたこと及びその翌日、同営業所自動車部審査係から森杉の分は金四百四十円、杉本の分は金二百五十円の各不足がある、旨指摘されたこと、申請人岩浅が、当日婦人雑誌二册とねぎ苗代金合計四百円相当を購入した事実のあつたことが疎明される。しかしながら、又一方証人木村義人の証言(第二回)によりその成立を認め得る疎甲第二十一号証の一乃至七、同申請人本人尋問の結果に前顕杉本、森杉各証人の証言を綜合すると、当日申請人岩浅は予備乗務であつたので、近所の水田ヨシノから雑誌「婦人生活」を、又、祖母水田ユリノから玉葱苗を各購入して来てくれるよう頼まれ、自分の愛読する雑誌「明星」の代金もあわせて、約四百円を祖母から受けとつて、当日中食時間中同僚の馬場信子と共に、島原市万町永瀬屋書店その他で、右の品物を購入の上、営業所に帰所し、前記収入金の整理を手伝い、その後雑誌と玉葱を携えて帰宅していつたことが疎明されるのであつて、以上の事実から考えるとき、雑誌玉葱の購入が正午頃、収入金整理が午後三時頃だつたのであるから、直に申請人が収入金を窃取したものと断定するのは、いささか早計というべく、もし、当時、同申請人に対する嫌疑があつたとすれば、当然審査係で十分な調査をした筈だろうと思われるのに、かゝる調査が行われたという形跡もなく、又同申請人に対して、何らかの処分がなされたというような疎明もない。従つて、このような事実を数ケ月間を経た今日、申請人に弁解等の機会を与えず解雇事由として持出してきても、到底首肯できることではない。次に(六)申請人松尾は、素行が悪く又乗客に対する態度に遺憾な点があつたとされている。そして証人永藤薫の証言により成立を認め得る疎乙第七号証の七によれば、同申請人がしばしば島原営業所の車庫二階の宿直室に宿泊したことがあつた事実が疎明されるけれども、ただこれだけのことで、他の同僚に悪影響を及ぼす程申請人松尾の素行が悪かつたものとは認め難く、又右疎乙第七号証の七によれば同申請人が車掌として乗務中、車内で喫煙している乗客の煙草を取り上げたことが疎明されるけれども、しかし一方木村義人の証言(第二回)によつてその成立を認め得る疎甲第二十五号証の一、二に同申請人本人尋問の結果を綜合すると、右は車内禁煙であるにかゝわらず、満員の車内で醉客が喫煙していて再三の注意を聞入れず、他の乗客が困つていたので、申請人松尾において、その煙草を取り上げただけのことで、日頃の接客態度が特に悪かつたというようなことはなかつたこと、前記宿泊は、同申請人の住所が守山村の田舍で駅からも遠かつたので、勤務の都合上、夜遅くなつたようなときに宿泊したものであつたことが疎明される。

而して会社は申請人松尾、同川島を除くその余の申請人らに共通する事由として、第二協約との関係上、とかく本採用をするに困難性があつたと主張しているが、右申請人ら五名が、日頃から親第一組合的であり反第二組合的であつたから、同申請人が本採用の結果第二組合員になるとすれば、その統制を紊す虞があるといつたような考慮の下に、これを本採用にしなかつたというが如きことは、その主張自体正当な解雇事由とは認め得ない。尤も証人木村義人の証言(第一回)によりその成立の認められる疎甲第九、十、十二、十七号証に証人石原実、田中富士義の各証言及び右申請人ら五名の各本人尋問の結果を綜合すると、前記申請人ら五名が、会社自動車部に属する従業員でありながら、第一組合に加入していて、第二組合に加入しないから、会社において第二組合の要求に基ずき、本件解雇の意思表示をなすに至つたことが疎明される。そして成立に争のない疎甲第二号証によれば、第二協約の第四条には、会社は第二組合が自動車部における従業員を代表する唯一の労働組合であることを認める、第五条には、自動車部従業員は第六条に規定する者(部長、課長、臨、試傭期間中のもので採用後三ケ月に満たない者)を除き組合員でなければならない、組合は自動車部従業員で組織する、第十六条第十号但書には、組合員にして除名されたものは原則として会社は解雇するものとする旨各定められているのであつて、右はいわゆる広義のユニオン・シヨップ制の協約と認められ第二組合が自動車部従業員の過半数の従業員を代表することは明に当事者間に争がないから、申請人ら五名が会社自動車部門に属する従業員(バス車掌)である以上、当然第二協約のユニオン・シヨップの効力として第二組合に加入すべき義務があり、これに加入しない場合には解雇も亦止むを得ないと解すべきものの如くである。しかしながら成立に争のない疎甲第一号証によれば第一協約の第二条には、会社は第一組合を会社内における唯一の団体交渉権を有する労働組合と認める、第三条には、会社の従業員は第四条に規定する者(部長、課長、秘書課員、試臨日傭期間中の者等)を除く以外は組合員とする。従つて会社は従業員を雇入れる際、その日より組合に加入することを条件とする、第二九条第十号但書には、組合員にして除名された者は、原則として会社は解雇するものとする旨各規定されており、第一組合が会社従業員の過半数を代表することも亦明に当事者間に争がないから、第一協約のユニオン・シヨップの効力と、第二協約のそれとが如何なる関係に立つかを明にしなければ、第二協約のユニオン・ショップ制協約に基ずく本件解雇の適否を確定することができない。そこでこの点について考えてみるのに、労働組合法第七条第一号但書に「特定の工場事業場」と在るのは何も一の工場事業場に限定された趣旨ではなく、特定していさえすれば複数の工場事業場であつても差支えがないと解されるから、従つて第一組合が会社の特定した鉄道部門及び自動車部門を基盤として組織され、それが従業員の過半数を代表するものである限り、会社との間に前記の如き広義のユニオン・シヨップの協約を締結し得ることは当然であり、又第二組合が会社の特定した自動車部門を基盤として組織され、それが自動車部門に属する従業員の過半数を代表するものである限り、会社との間にユニオン・シヨップ制の協約を締結することも亦これを禁ずべき理由はない。然らば自動車部門について、第一協約のユニオン・シヨップと第二協約のユニオン・シヨップとが如何に作用し合うかが問題になるが、元来第一組合は鉄道部門及び自動車部門を基盤として組織され、第二組合は自動車部門を基盤として組織されたものであるから、前記の如く、それぞれユニオン・シヨップ制協約の締結を妨げないとしても、こと自動車部門に関する限り、議論はあるが、二つのユニオン・シヨップの効力は矛盾し、衡突し、相殺し合う結果、互にその効力を実動し得ない状態に陥るものと解するのが相当である。さすれば申請人松尾、同川島を除くその余の申請人ら五名が、自動車部門に属する従業員であるとしても、同申請人らが第一組合の組合員である限り、第二協約のユニオン・シヨップは同申請人らに対しては実動し得ないと認むべきであるから、従つて申請人ら五名が第二組合に加入しないことの故を以て、同申請人らを解雇することは許されない筋合といわねばならぬ。かように検討してくると申請人川島を除くその余の申請人らに対する解雇の意思表示は結局違法にしてその効力がないものと認むべきと同時に右申請人らは当然自動的に社員たる地位を取得した訳ではないから、従つて同申請人らを社員として待遇すべき旨の申請はその理由がないことに帰する。

最後に(七)申請人川島について調べるのに、同申請人が昭和二十八年七月二十九日会社に雇入れられたことは当事者間に争がなく、本件解雇の日(昭和二十九年一月二十五日)までに六ケ月の期間を経過していないことは、算数上明であるから、従つて同申請人については他の申請人らと同様に論ずる訳にはいかない。申請人は前記協定の締結によつて、これと矛盾する就業規則第四十一条の規定は当然その効力を失つたと主張するが、その理由のないことは敍上の説明によつて自ら明であり、同規定は矢張りその効力を有すると認めねばならぬから、従つて申請人が同規定によつて解雇されたとしても、それは洵に止むを得ないと認めねばならぬ。尤も臨、試傭員は何時にても解雇することができるからといつて、何らの事由もないのに勝手に解雇しても良いと解すべきでないこと勿論であるが、しかし臨、試傭員については或る程度、会社側の自由が留保されているとみるべく、申請人主張の如く社員の解雇事由と同一の事由がなければ、これを解雇するを得ないとする法理論的な根拠はない。それで臨、試傭員の解雇については、その違法を主張する側にその旨の立証責任があると解すべきところ、却つて本件においては証人久保高松の証言によりその成立の認められる疎乙第七号証の六と右証言、証人山口保代の証言に申請人川島本人尋問の結果を綜合すると、昭和二十九年一月十日諫早営業所において、申請人川島の車掌鞄の中の交番表から百円札が発見されたこと、右交番表は八つに折りたゝまれていて、百円札はその奧に在つたこと等の事実が疎明され、これらの事実から考えると、会社主張の如く直に収入金を着服したものとは認め得ないが、しかし過つて収入金の収納を忘れて入れておいたものとは思われず、又それが仮りに私金だつたと考えても少なくとも社則として車掌鞄の中に私金を入れておくことは厳禁されていることであるから会社がこの点を捉えて同申請人に社員たる適格性に欠くるものがあると認め、これを解雇することは同申請人が臨、試傭期間中である限り止むを得ないものというべく、疎甲第二十六号証によつては右疎明を左右するに足らぬ。

そして申請人ら(但し申請人川島を除く)が会社を唯一の職場とし、賃金によつて生活を維持していることは、右申請人ら各本人尋問の結果によつて疎明されるから、特別の事情のない限り本案判決確定に至るまで、解雇せられたものとして取扱われ、殊に賃金の支払を受けることができないということは、甚しい損害であり、精神的苦痛も甚大であると云わねばならぬ。会社は本件仮処分の申請は、その必要性がないと主張するが、疎乙第十二号乃至第十六号証(但し第十四号証は一乃至四、その他は全部一、二)第十八号証の一乃至四によつては右疎明を覆えすに足らず、他にこれを左右すべきものはない。

以上の次第であるから、本件仮処分申請は申請人川島を除くその余の申請人らに対し解雇の意思表示の効力を仮りに停止する部分に限り理由ありとしてこれを認容し、その余は理由なきものと認めてこれを却下すべきものとし、申請費用の負担につき、民事訴訟法第八十九条第九十二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 林善助 入江啓七郎 広木重喜)

(別紙)

目録

伊藤晶子

一、昭和二十八年八月二日収入金を着服し島原営業所にて発見された。

二、平素の素行が悪く他の善良なる同僚に悪影響があつた。

三、当時非組合員であつたがその行動は自動車部労働組合との協約上本採用することに困難性があつた。

梅田悦子

一、勤務に熱意がない。

二、昭和二十八年秋のシーズンに際し旅客輻輳の折柄車内旅客の整理を命じたるもこれに応じなかつた。

三、昭和二十九年一月十七日は正当の理由なくして乗務命令に復しなかつた。

四、伊藤晶子の三、と同じ

片山クニ子

一、勤務に熱意がなく不従順であつた。

二、車掌腕章、帽子の着用方を再三注意したけれどもこれに応じなかつた。

三、伊藤晶子の三、と同じ

岩崎百合子

一、勤務に熱意がない。

二、伊藤晶子の三、と同じ

岩浅安子

一、勤務に熱意がない。

二、収入金の取扱上不正の嫌疑があつた。

三、伊藤晶子の三、と同じ。

川島ミチヨ

一、昭和二十九年一月十日収入金を着服し諫早営業所で発見された。

二、それ以来再三注意を与えたけれども収入金の取扱いが乱雑であつた。

松尾繁子

一、性質粗暴にして旅客に対し不遜の言動をなす習癖があつて再三再四注意を与えたが豪も改悛の情がなかつた。

二、自動車の車掌として不適当であつた。

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